雨咲書簡

宛名なしの公開雑記

Congraduation!(高校を卒業した話)

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何かいいタイトルをと思い、graduationcongratulationをかけてcongraduationという言葉を思いつき検索にかけたところ実際に使われていて少し感動したというどうでもいい話はさておき









先日、某県立高校を卒業した。高校の3年間は、短かったかと聞かれれば短かったような気もするし、逆に長かったかと聞かれれば長かったような気もする。いろいろなことがあったけど大事なことを忘れているような気もする。そんな不明瞭で不鮮明でアイマイモコとした3年間だった。こう書くとお前には暗い記憶しか残ってないのかと言われそうだが、決してそういうわけではない。全部ひっくるめて思い出せないことと思い出せることが存在しているだけだ。

 

そもそもこの高校を選んだ理由だが、たいした理由は無い。小学校のころから受け身の姿勢で生きてきた、その延長線上にこの高校があった。

 



話は遡って小学校3年、僕は幼稚園の時に仲が良かった友達の母親に誘われて、その友達と一緒に近所の塾に入塾した。この時期から自分で塾に行きたいと言う子供は少ないだろうが、この時から受け身の姿勢は始まっていた気がする。

塾での勉強は楽しかった。学校とは違う授業方式は自分にとって新鮮で、最初は嫌だった気持ちも徐々に薄れていった。量の多い宿題にウンザリするときもあったが、そのおかげで小学校の勉強に遅れをとることはほぼなかったと思う。

そのまま公立中学校に進学。特に辞める理由もなかったので塾にも通い続けた。というか辞めるという発想自体思いつかなかった。なんとなく塾で勉強をして、なんとなく入った部活をする生活。自分の周りはなんとなくで構築されていった。

その先にあったのがこの高校だった。家から近く自分の学力に合った手ごろな高校というただそれだけの理由で、2年生の時くらいから自然と目指していたと思う。合格に向けて頑張っていた僕は絶望的な芸術センスを遺憾なく発揮していた副教科を定期テストの点数でカバーすることでなんとか合格ラインの内申点を手に入れ、入試本番の試験でも大きなミスをすることなく最終的には合格することができた。そこに至るまでに、怒鳴り散らす上に(怒鳴ることで顧問という絶対悪を作り出し、生徒の反骨精神を引き出してチームの結束力を強めようとする指導方法は今考えても汚いと思う)自分のことを過大評価してくる顧問に嫌気がさして部活を辞めたいと思ったことや、塾の数理の教え方に疑問を抱くことがあったりしたが、結局この時の僕は何か行動を起こすことはなく、時間が過ぎることで事態が解決するのをひたすら待っていた。

そんな中学校時代の生活から少しでも脱却しようと、高校入学後は仲間にあまり気を遣わなくていい個人競技を選び(運動はしたかった)、ずっと通っていた塾も辞めた。

 

それでも根底の部分は変わっていなかった。変わったのは周りの環境だけ。そのことは、塾を辞めた途端勉強をする習慣が失せたことに強く感じられた。所謂環境に大きく左右されるタイプということをこの時になってようやく理解したのだ。でも、性格は変わらなかったけど、学校生活は中学の時より充実していた。部活は、実力があるうえに更なる技術向上を強く意識するグループと、練習する以上は頑張るけどそこまで本気では無いグループの2つに分かれてはいたけれど、部活は部活とみんな割り切って活動していたのでグループ間の仲は僕が見ていた限り悪くなかったし、僕個人にとっても気の合う友達と練習することはとても楽しかった。普段の学校生活も、所謂自称進学校ということもあり集まってきた生徒はそれなりに厳選(?)されていて居心地は中学校の時よりも良かった。特に3年の時のクラスの男子間にあった、やることなすこと良い意味でテキトーな、あの何とも言えない雰囲気は本当に好きだった。

他にも修学旅行とか具体的な行事で楽しかったことはいろいろあるけど、断片的にしか思い出せない。

逆に嫌な思い出はというと、後悔したことならいくらでもあるけど、これまた少ししか思い出せない。後悔したことが嫌な思い出なんじゃないかと思うかもしれないけどそれは何か違う気がする。後悔したことってきっと時間が経って美化されてる。最初にも書いたけど全部ひっくるめて思い出せないことと思い出せることが混在してる。高校の時の記憶なんてこんなもんですよね?????

 

箇条書きの羅列でグダグダになったけど結局何が言いたいかというと、今までの短い18年のうちの高校3年間は忘れてしまったこともいくらかあるけど僕にとってわりかしいい3年間だったということ。あと学んだこととしては、性格は今更変わらないし変える必要もない、けど自分の周りの環境を良い方向に変える努力は怠ってはいけないということ。これはまた今度書くかもしれないけど、受験勉強も環境を変えたらスムーズに進んだし、つまるところ、周りの環境というものは正義なのかもしれない。

流石にこれ以上受け身な、当事者意識の薄い人生を送りたくはないので、周りに大きく影響される性格を踏まえて自分で考えて行動する癖がもっとつくような環境を作る努力は怠らないでいきたい。もしかしたらこのブログを書くという作業もその努力に一役買っているかもしれない。

 

これは余談だけど、担任が卒業式後最後のHRに「嫌なことがあったら逃げろ、自分より先に死ぬな」という話をしていた。全くその通りだと思う。そういう経験は今のところ無いけれど、親しい人が自殺したなんて知らせ一生聞きたくない。










例のごとく、備忘録とはいえある程度筋の通った、日本語としてまともな文章になっているかどうか不安になっている。というのも、僕自身が違和感を覚える文章を読んでいるとイライラするからだ。ということで推敲よろ~