雨咲書簡

宛名なしの公開雑記

新年の挨拶とハタチ談義

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皆様いかがお過ごしでしょうか。ブログではお久しぶりです、雨咲です。年の瀬なので、片付けごとの一つのようにブログを書いています。

 

 

 

 

2019年を振り返ってみると、生活リズムが大きく変わり、今までとは違う新鮮な環境に身を置き、ある程度の社会への適応を見せつつ(大嘘)、かといって1人ですることなんかはあまり変わらず、とても長く感じられた1年となりました。

 

 

ただすることは変わらなくとも勝手に事件やら災害やらは今年もたくさん起こっていた。自分の身の回りに降りかかってくることはなく、幸か不幸か縁遠い場所にいることができました。未だに悲しい出来事というものが身近に少ないので想像力の乏しい自分は災害で苦しむ方々に対して不憫だなぁと少し悲しい気持ちになる以上の想いを持つことができないままですが、少しずつ人として人並みの成長を積んで(曖昧な表現だけど、そういう成長もあるよね〜不安〜)周りに敏感な生活を過ごせるようになりたいと思う今日この頃です。何がなんであれ、平成を過ごしたあの日々が遠い昔のように思われます。

 

 

 

 

 

様々なコンテンツを消費し続ける生活は来年も続くのでしょうが、多少は自分と(それ以上に社会と)向き合って身の振り方をある程度考えていかないといけない時期、というか歳になってきていると切に感じます(本当に自分がハタチになるということへの実感が湧かない)。

 

 

周りのオトナがハタチになる時、年相応の成長をしているなと感じつつハタチを迎えたのか、はたまた自分のように実感が湧かないまま気づいたらハタチになっていったのかは知る由もないが、少なくとも自分は、5年前くらいになんとなく想像していたハタチとは大きくかけ離れた、大人の自覚もクソもないハタチを迎えようとしています。

 

 

 

生まれてから20年経ったというだけで酒タバコが許され、否が応でも将来を意識する必要に迫られる(幸運なことに自分はモラトリアムを得ています)、なんて罪な年齢なんでしょう。生まれて20年そこらの人間なんて、節目を迎えるには若過ぎませんか。そう思いませんか。かといってハタチより他にデカい節目の年なんてないんじゃないでしょうか。何がいいたいかというと自分はそれを迎えるのに相応の人間ではないと。

 

 

 

でもまあこうして考えていると、自分は本当にハタチになるのかなるのかと考えてるような人間こそハタチ相応のムーブをしてるのではないか、皆ハタチになる人間は一通り似たようなことを考えているのではなかろうかと、勝手に自分が一般人の枠に収まっていることに安心してホッとする一面もあります。真相は定かではありません。今年ハタチになることだけが揺るがない事実として存在しています。

 

 

 

ともあれわけわからんハタチ談義をこねくり回しただけで今回のブログが終わりそうですが、他に書きたいことも無いのでこれにて失礼しようと思います。

 

本当は時間さえあればなんのアニメが良かった何のあれにハマっただのいろいろ書きたかったけど気づいたらこの時期だったからダメやね。

 

今年もたくさん良いコンテンツを消費して、その一環でたくさん良い音楽を聞いて、たくさんおいしいご飯が食べれたら本当に幸い、、、

ぽしゃけも楽しめる範囲で楽しみたいね。伊達に「たくのみ。」読んでたわけじゃあ無い(?)

 

 

あとは今年のビックイベントといえば東京オリンピックかなぁ〜興味あるのサッカーだけだけど。大会に対して僕はただ穏便に終わってほしいというお気持ちの塊になっています。失敗は約束されているだの誰の為の大会だのネガティブな発言はそこら中で耳にするけど全て耳を塞いでいます、悲しいので。ただ自分の住む国がどんな国で、現状どのような位置にいるのか、改めて客観的に見れる良い機会だとは思います。

 

 

 

あ、2019最高だった曲は、AXiSのHEAVEN'S RAVEでした。一回は聞けオタク共酔いしれな。

 

 

 

ともあれ、今年も一年よろしくお願いします。

 

 

 

投稿した後に無限に書きたいことが出てきて更新の連続になるんだろうなと思いつつ、読み返すのが面倒になったので無茶苦茶な文章になってるんだろうなと思いつつ、そして誰が読むんだろうなと馳せる相手のいない思いを馳せつつ、それでは。